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更新日:2019年12月4日
農業の発展は土地改良施設の整備とともにあります。耕作に必要不可欠な水を確保するため,収穫した作物を運搬するため,農地を洪水や湛水の被害から守るため,さらには農村の暮らしをよりよくするために,さまざまな土地改良施設が整備され,生産性向上や快適な農村生活のための大きな役割を担っています。 |
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県西農林事務所土地改良部門では,このような土地改良施設を造成することによって,よりよい農業農村の発展に助勢させていただいています。 このページでは,土地改良施設にはどのようなものがあるか,また,県西農林事務所土地改良部門管内にある歴史的土地改良施設を紹介しています。 |
土地改良施設とは,農業のための用水施設や排水施設,道路,その他農業をするにあたり有益な施設,農村での生活を快適にする施設のことをいいます。ここでは各土地改良施設について,県西農林事務所土地改良部門管内にある土地改良施設の写真とともに紹介しようと思います。 |
用水機場 |
パイプライン |
川から取水した水や,霞ヶ浦から運ばれてきた水を調整池にため,ポンプにより各農地に送ります。 霞ヶ浦用水についてはこちら 畑地かんがいについてはこちら |
用水機場からの水は,このような管を通って運ばれます。それぞれの田んぼ,畑には蛇口がついており,蛇口をひねれば水が出るような仕組みになっています。 |
水路 | 排水機場 |
水路の底や岸を整備することにより,水の流れをスムーズにし,法面が崩れるのを防いでいます。 |
大雨により排水路の水かさが増したときに,水があふれるのを防ぐため,このような機場で圧力をかけて強制的に川へ排水を行います。 |
農道 | ため池 |
主に農業上の利用のための道路です。収穫した農作物を素早く,大量に運搬するために整備しています。さらに,農村の社会生活基盤としての役割を併せ持っています。 | 昔から使われてきたため池を整備し,地域の農業用水の確保,また災害の防止を行っています。景観や生態系の影響にも配慮した整備が行われています。 |
青木堰(桜川市)
茨城県内には,土地改良事業の推進に大きな役割を果たしてきた長い歴史を持つ農業用の堰が多く存在しています。当県西農林事務所土地改良部門管内にも,いくつかの堰が存在しますが,その中で今回は,江戸時代からの由緒がある青木堰を紹介します。 |
二宮尊徳により改修された青木堰は,茨城県桜川市青木地内,一級河川桜川の上流部にあります。この地域の山々からの水量は乏しく,青木堰が用水の大部分をまかなっていました。しかしながら,大雨のたびに堰は決壊,維持管理には過大な負担が強いられていました。それにより村はしだいに疲弊していき,多くの農民は破産し,村から逃げていきました。 このような状況を打開すべく,1831年(天保2年),村の名主舘野勘右衛門は,村の生命線である青木堰の改修を二宮尊徳に求め,37名の連署による一村救済の嘆願書を提出したのです。これを受けた二宮尊徳は「村の荒廃は用水を失ったことだけが理由ではない。用水が無くなったなら,田を畑にして穀物を得るべき。貧村は村人の怠惰の結果だ。」と,一度は叱責しますが,舘野勘右衛門の涙ながらの訴えと,心を入れ替えた村人の働きに心を動かされ,青木堰の改修に乗り出すのでした。 1833年(天保4年)3月7日,青木堰の工事が始まりました。村内を流れる桜川の河床は砂地で,堰を築くのに必要な砂利や岩石が乏しく,設置には困難を要しました。そこで二宮尊徳は萱屋(かやや)を川の上に造り,その屋根を切り落として流れの中に落とし,流れを止めて堰を築くという独特の工法を用いました。工事は水路工事まで含め3月24日に完了しました。それまでの工事に比べかなり短い期間,少ない費用で成功したことに,遠近の人々は驚嘆したとのことでした。 青木堰が完成したことによって,村は瞬く間に復興し,村民も本来の農業に励むようになりました。その後も堰は何度も損傷を受けるのですが,二宮尊徳の教えに従い,村民が一丸となって修復を続けてきました。 現在は当時の堰があった場所よりも上流に堰が造られ,旧堰は跡地として,「二宮尊徳先生仕法青木堰の記」とともに保存されています。 |
青木堰跡地 | 二宮尊徳先生仕法青木堰の記 |
参考文献 第17回全国報徳サミット桜川市大会実行委員会『よみがえる金次郎二宮尊徳青木村のあゆみ』 (平成23年10月,株式会社昭栄堂印刷) 川俣正英『息づく報徳仕法アーカイブスに見る青木村仕法』 (平成23年10月22日開催第17回報徳サミット桜川市大会配布資料内 |
江連用水旧溝「宮裏両樋」(読み:みやうらりょうひ)(下妻市)
江連用水は,栃木県真岡市上江連を水源とし,鬼怒川と小貝川に挟まれた地域のかんがい用水であり,当地域にとっては,欠かせない重要な用水路です。江連用水旧溝「宮裏両樋」は,今から約100年以上前の明治33年(1900年)に作られ,昭和50年代に江連用水の流路が変更されたことにより現在は使用されなくなりましたが,旧江連用水路の中で現存するレンガ造りの水門としては,最古の水門となっています。また,レンガの積み方はイギリス式が採用され,建築学上でも重要な施設となっています。
本施設は,上流からの水を等分して下流に流すことができる構造になっています。水門中央部の堰柱は,上流部は船の先端のような水切りの形状で,下流部は階段状になっているのが特徴になっています。
平成27年3月26日に下妻市初となる国登録有形文化財に登録されました。周囲は,公園として整備され,街並みウォーキングなどが行われており,地域の活性化にもつながっています。
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