小学生版県広報紙「ひばり」11月号【特集1】
コロコロコミック×茨城県民の日企画
~茨城のはじまりへ~
11月13日は茨城県民の日。
私たちが住む茨城は昔、どんな様子だったのでしょうか。
時空を旅するタイムトラベラー「ふうと」が、茨城のはじまりをご紹介!
さあ、茨城のはじまりをのぞいてみましょう。
常陸の国は、国広く、山も遥かに、田畑は肥え、広野の拓けた良き国である。
海山の幸にも恵まれ、人々は安らぎ、家々は満ち足りている。―常陸国風土記より
タイムトラベラー「ふうと」
[プロフィール]
フォロワー数280万人の自称インスタグラマー。
自分の名前の由来である風土記が大好きで、時空を司る妖怪タイムといっしょに、タイムトラベルをして写真を撮っている。
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東国を巡っているヤマトタケルノミコトと一緒に、海の幸を食べたよ。村のみんなは、いつも夜になると酒を飲んで、歌を歌って、悩みなんて忘れてしまうんだって。僕は、お酒は飲めないけど、楽しかったなあ。
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行方郡に、角の生えた蛇が出て騒ぎになっているらしく、見に行ったよ。
箭括氏のまたちさんが、「山を神の住処に、里を人が耕す田にしましょう。私が神主になって、子孫の代までお祀りします」と約束して、田を耕せるようになったんだ。その後、一緒にお祀りをしたよ。
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霞ヶ浦に、昔は島があったんだね。そこでは塩づくりが行われていて、僕も見学させてもらったよ。せっかくだから、スマホで写真を撮ってもらったら、「この板は何?」って聞かれちゃった! |
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八溝山の辺りに行ったら、砂金がザクザク取れていてびっくり!
※遣唐使の財源にも使うんだって
※遣唐使:昔、中国(唐)に行って、すぐれた技術を持ち帰ってきた使節のこと
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突然現れた茨の城!どうやら黒坂命が、山野の賊と戦うために築いたみたい。
帰ってきてから知ったんだけど、これが「茨城県」の由来になったといわれているらしいよ。すごい迫力の城だったなあ。
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水海道で、立派な武人が馬に水を飲ませていたよ。
すごくオーラがある人だったから、もしかして有名な人だったりして…。
その後東北地方へ向けて走り去っていったんだ。
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もっと知りたい!常陸国風土記
こんにちは!「ふうと」だよ。小学生向けひばりを読んで、「風土記をもっと知りたい」と思ったみんなに、僕がくわしく紹介するよ!一緒に楽しく学ぼうね。
風土記って何だろう?
和銅6年(713年)、奈良にある平城京で政を行っていた元明天皇は、全国に向けて次の内容を提出するよう命令したんだ。
- 今で言う市町村の名前を漢字2字で書くこと
- 銀や銅など、地域で取ることができる鉱物、生息している植物、動物、魚、虫の種類を書くこと
- 土地の豊かさについて書くこと
- 山や川、野の地名が、なぜその名前になったのかを書くこと
- 地域のおじいさん・おばあさんが伝える古い物語やできごとを書くこと
最初(さいしょ)は、「風土記(ふどき)」という名前ではなかったみたいだけど、平安時代(794年~1185年)には風土記(ふどき)という名前で呼ばれるようになったと考えられているよ。
今も見ることができる風土記は?
1.常陸国風土記
現在の茨城県の一部の、奈良時代の様子を紹介しているよ。田畑が豊かで、海や山の幸にも恵まれていると書かれていて、今の茨城にも通じるものがあるね。
2.播磨国風土記
現在の兵庫県の一部。奈良時代の地名や土地の豊かさについて多く紹介しているよ。他の地域との交流についてもくわしく書かれているんだって。
3.出雲国風土記
唯一の完本(内容が全てそろっていると考えられる風土記)で、現在の島根県の一部の、奈良時代の様子を紹介しているよ。出雲に伝わる神話が多く書かれているんだ。
4.肥前国風土記
現在の佐賀県、長崎県の一部。奈良時代の様子を紹介しているよ。肥前の国は、もとは肥後(ひご、現在の熊本県)と合わせて一つの国だったことなどが書かれているんだ。
5.豊後国風土記
現在の大分県の一部の、奈良時代の様子を紹介しているよ。日本書紀(最も古い日本の歴史書のひとつ)と共通したお話も多いんだって。
茨城県のなりたち
1871(明治4)年に、政府は「藩」を「県」に置き換えたんだ。これを「廃藩置県」というよ。このとき、水戸県や土浦県など、16の県が誕生したんだって。その後、県の統廃合が行われ、明治4年11月13日に初めて「茨城県」という名前が使われたよ。だから、11月13日は「県民の日」として、茨城県民みんなでお祝いしているんだね。