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更新日:2024年10月7日
昭和10年3月納品英工舎
~時計の内部に記載されている「電氣時計の歩み」より~
この時計は、昭和10年4月21日茨城会館が文化の殿堂として開設されたとき同館の標準時計として設置され、昭和41年6月30日までの32年間に亘り奉仕をつづけて来ましたが、茨城県民文化センターが千波町に建設されるに及び茨城会館は議事堂として改築されることになりましたので、永らく県民に親しまれて来たこの時計は土浦合同庁舎の標準時計として再出発することになったものであります。
昭和44年6月
昭和10年3月に水戸市三の丸地内の旧県庁構内(元県議会議事堂、現県立図書館)に、本県唯一の文化活動の拠点として建設されました。
建物の規模は、鉄筋コンクリート造り3階建て、外装はレンガ造りで、延べ床面積は2465平方メートル、2階部分の大ホールは653平方メートルで1134席が設けられていました。工費は、14万4000円ほどで、その大半は県内の教員の方々の寄付によるものでした。
会館では、講演、講習などの各種集会、音楽、演劇、舞踊などの舞台芸術が催され、大ホールのフロアを利用しての県展、団体展などの美術展にも利用されていました。
昭和20年8月、戦災により大ホールなどを焼失しましたが、昭和24年に復旧工事を終え、再び元の姿に戻りました。
昭和38年3月には、郷土の自然や、輝く歴史と伝統を讃え、躍進する茨城の理想の姿を一編の詩に託した「茨城県民の歌」の発表会場となるなど、第二次世界大戦前から戦後にかけて、公会堂として、本県の文化活動の殿堂としての役割を担って来ましたが、水戸市千波町に建設された県民文化センターの開館と同時に、昭和41年6月を以ってその役目を終えました。
参考文献「茨城県大百科事典」茨城新聞社昭和56年10月
昭和10年の茨城会館の開館から昭和41年までの32年の長きに亘り、茨城県民とともに時を刻み、また、昭和44年6月より今日にいたるまで土浦合同庁舎とともに歩んできました。
時を刻むこと70年余りのため、残念ですが今はもう動くことが出来ません。
これまで休むことなく、ゆっくりと振り子を動かして私たちのために時を示してきてくれました。
時を示すことは出来ませんが、これからも、静かに、そして温かなまなざしで私たちを見守り続けて欲しいと思います。
この時計は土浦合同庁舎本庁舎1階ロビーに展示してありますので、土浦合同庁舎を訪れた際、または県南地域にお越しの際には少し足を伸ばしてお立ち寄りいただき、是非ご覧くださいますようご案内いたします。
平成25年1月
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