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更新日:2020年6月10日
1650 慶安 3年 漁業規則「霞ヶ浦四十八津掟書」が初めて文字に記された。
1654 承応 3年 利根川の開削工事によって流路が東に変わり、霞ヶ浦の淡水化が進んだ。
1763 宝暦13年 大徳網が操業された。
1813 文化10年 網代漁法が本格的に行われるようになった。
1863 慶応 3年 おだ漁法が行われるようになった。
1877 明治10年 シラウオの帆曳網漁法が考案された。
1910 明治43年 土浦市に県営手野養魚場が開設された。(1970年廃止)
1910 明治43年 霞ヶ浦・北浦の本格的な漁業調査が実施された。
1913 大正 2年 ワカサギの人工採卵が行われ、卵が県外に出荷された。
1930 昭和 5年 ゲンゴロウブナが琵琶湖より移殖された。
1931 昭和 6年 イケチョウガイが琵琶湖より移殖された。
1932 昭和 7年 セタシジミが移殖された。
1936 昭和11年 ホンモロが琵琶湖より移殖された。
1942 昭和17年 水産振興場が開設された。
1943 昭和18年 ハクレン等が中国より移殖された。
1948 昭和23年 水害防止のため、常陸川の開削工事が行われ、塩分が上昇した。
1951 昭和26年 マハゼ等が霞ヶ浦・北浦で多く見られるようになった。
1954 昭和29年 農林省統計情報事務所が本格的な漁業統計調査を開始した。
1955 昭和30年 県営鉾田養魚場が開設された。(1974廃止)
1958 昭和33年 水産振興場が廃止され、霞ヶ浦北浦水産事務所が発足した。
1961 昭和36年 外浪逆浦などでシジミかき漁業が開始された。
1963 昭和38年 常陸川水門(逆水門)が完成し、淡水化が始まった。
1963 昭和38年 イケチョウガイによる淡水真珠養殖が始まった。
1965 昭和40年 コイの網いけす養殖(小割式養殖)が事業として本格的に開始された。
1968 昭和43年 霞ヶ浦開発事業により築堤工事が始まった。
1968 昭和43年 ワカサギの動力曳きが制度化された。(北浦については北部水域のみ)
1968 昭和43年 内水面水産試験場が玉造町に発足した。
1971 昭和46年 常陸川でシジミの大量酸欠死が発生した。
1973 昭和48年 網いけす養魚のコイが酸欠により大量へい死(1500トン)した。
1974 昭和49年 常陸川水門が完全閉鎖した。
1975 昭和50年 ブラックバスの生息が確認された。
1979 昭和54年 ワカサギの人工ふ化事業が再開された。
1980 昭和55年 ブルーギルの生息が確認された。
1982 昭和57年 霞ヶ浦富栄養化防止条例が施行された。
1985 昭和60年 北浦に残っていたワカサギ帆曳網が全域でトロール化された。
1987 昭和62年 網いけす養殖業の再編整備が始まった。
1988 昭和63年 ペヘレイの生息が確認された。
1992 平成 4年 アユが大量に漁獲された。(1995年に再生産を確認)
1995 平成 7年 茨城県で「世界湖沼会議」が開催され霞ヶ浦宣言が採択された。
1995 平成 7年 高品質養殖ゴイ(全メスゴイ)生産技術の開発研究が始まった。
1997 平成 8年 霞ヶ浦開発事業が完了し、霞ヶ浦の水ガメ化が本格化した。
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